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2014年12月10日水曜日

Toleman F1 TG183B / Ayrton Senna, You get it or not !?

www.f1fanatic.co.uk/goodwood-2010

Toleman TG183B (Chassis #5)。

1984年、Sennaこのクルマで Formula 1 のキャリアをスタートさせている。
セナが F1で 初めてレースをしたのが、このクルマである。

今回、Swindon に近い "Cars International" が、このクルマの持ち主となる新しい顧客を
探している。  だから、あなたが 次のオーナーになるチャンスは 有るかも知れない。
多分このニュースは、先週末位から 世界中に流れているだろうから、クルマがクルマだけに、
即決する必要がありそうだ。 (もう、遅いか !?  ...... い、やってみる価値はある。)

しかし運良く残っているとしたら、ウチに連絡いただければ 速攻で動きますので、
すぐにでも メールをいただければ !  britishgreenyokohama@gmail.com
まずは連絡後、来週にでもデポジットを送って、相手から契約書を送って貰いましょうか。
そして年末か 来年早々にでも、私が現地に 向かいますので。 現車を確認しましょう !!
ヒースローから クルマで一時間位のところなので。

[Toleman F1 / TG183B]  主なスペックと概要は 以下の通り。
Original Hart 415T / 1459cc Straight 4 Turbo 580Hp
with Spare Engine Block from original Toleman Team stock
Hewland 5-speed   Carbon Fibre Monocoque  570Kg Weight  Full Documentation



この TG183B は、85年にセナが ロータスに移籍した後も、少しの間はチームがキープして
いたが、やがて アメリカに売却され、90年初頭に LA の Mike Earl の所でレストアされた。
現在は イギリスに戻って、前述の 英・Berkshire の Cars International が保持し、
新たなオーナーを募っているところだ。


さて、ここで Senna の レースでの生い立ちと戦績を 少し述べておく。

セナは 13歳でカートレースを始め、やがて南アメリカのカート・チャンピオンとなった。
その後 81年に渡英、名門 Jim Russell Racing Drivers School で腕を磨き、
その年の Formula Ford 1600 で優勝している。
翌82年には Formula Ford 2000 のチャンピオンになった。 さらに83年、Dick Bennett
主宰する West Surry Racing Team から F3 / Ralt RT3 Toyota でデビュー、
Martin Brundle と好戦してその年の F3チャンピオン を勝ち取ってしまった。

また セナは同年、初めて F3規格となった Macau Grand Prix で、地元セオドール・レーシング(Theodore Racing) から参戦して 優勝した。  [Macau Grand Prix]
(80年に ドン・ニコルズの Shadow Racing Cars を買収した香港の実業家・セオドールこと
 Theodore "Teddy" Yip は、78年と81~83年まで、F1 も走らせていた。)

そして セナは84年、当時上り調子だった Toleman Groupe Motorsport から F1 デビューする
ことになる。 その際に トールマンがセナに用意したのが、今回の "TG183B / #5" である

セナが トールマンのテストを受けた際、前年までのドライバーだった Derek Warwick
乗っていたTG183 を走らせてみたところ、Warwick より速く走ってしまい、
これを見ていた チームのデザイナー・Rory Byrne は、"This is the Guy ! " と叫び、
Byrne は クルマの開発をしていく上での セナの必要性をすぐさま見抜いて、
結局 チームは セナとの契約を即決した。

当時 セナは、ブラバムに行こうとしていたが、チームは、No1ドライバーだったピケの同意が
得られず、結果 トールマンに加入することになったものだ。
でも セナは、マクラーレンとウイリアムズのテストも受けていたらしい。 彼は したたかなのだ。

さて、トールマンから 84年に F1デビューしたセナは、その年の初戦・3月25日の Brazil GP
から F1キャリアをスタートさせるが、ターボの不調で初戦は10周でリタイアしてしまった。
しかし、第2戦の 南アフリカ GP(Kyalami)では 早速に6位入賞、デビュー初のポイントを
稼いでいる。

続くベルギー(Zolder) でも6位、第6戦のMonaco では なんと2位入賞し、その後も同年中に
イギリスGP と 最終戦のポルトガルで 各々6位に付けている。
F1初年度としては、上々の出来映えだった。

つまり 今回の TG183B、84年の初戦から 4戦目の San Marino(Imola)までを セナが
ドライブし、初戦のブラジルを含めて、その年の最初からの4戦を このクルマで戦っている。

5戦目から、チームは セナに TG184 を用意、以後その年は最終戦まで TG184 で参戦した。
セナは F1初参加の84年、年間のスタンディングは ドライバーズ・9位で終了している。

そして セナは翌85年、Lotus に移籍、その後の3年間をロータスで過ごした。
87年には 中嶋悟がチーム・メイトとなる。
それに付随して ロータスも Honda・Engine を搭載し始めたが、この頃 前後して
Williams-Honda が台頭して善戦、セナは次第にホンダ・エンジンに憧れを持つ様になっていく。

かって 私は、ロータス本社の敷地の片隅にある Classic Team Lotus の館を訪れた際、
一室に キャメル・イエローの中島が乗った F1が置いてあった。
これを買わないか、とチャプマンの息子である Clive から言われて、取りあえず コクピットに
座って見て感触を確かめたが、エンジン・レスであったし、価格的には 安くも高くもなかった
ように記憶するが、即決は出来ずに そのままになってしまった。
今 想えば、買っておけば良かったかも知れない。
http://britishgreenyokohama.blogspot.jp/2010/05/blog-post_6655.html

そしてセナは、88年から93年までの6年間を McLaren で レースをすることになり、
セナの加入した88年から、マクラーレンもホンダ・エンジンを積むようになった。
その際、ホンダがマクラーレンにエンジンを供給する事の条件として、
ホンダは、セナを マクラーレンに引っ張ってくる事を強く所望したと思われるフシがある。

そして McLaren-Honda は、Senna-Prost 体制のもと、チームは その黄金期を謳歌する。

さあ、....... 歴史は繰り返す !!
来期 2015年から、McLarenHonda・Engine を搭載することが決まっている。
その際、ホンダは Alonso にドライブさせる事を強く希望していると言われる。
しかも その為に、ホンダは マクラーレンにエンジンを無償提供し、場合によっては
アロンソも丸抱えで、McLaren-Honda を走らせるべく 画策しているとも言われているのだ。
http://britishgreenyokohama.blogspot.jp/2014/10/alonso-where-to.html

今、30年近く前の状況が、McLare-Honda-Alonso の組み合わせで再現されようとして
いるのか !!  アロンソがセナに置き換わっただけじゃないか  !!!
ということは、かっての Senna-Prost のように、Alonso-Button の確執が始まるのか !?
Nicht !  いや、それはない。  Button の性格からして、それは有り得ない。
それは繰り返さなくていい。 余計な心配はしたくない。
(先週のマクラーレンの取締役会で、ButtonMagnussen の処遇が決まるハズだったが、
 今日現在は まだ未定のままだ。 ..... でも、そう遠くないだろう。
 ロン・デニスと、大株主であるバーレーンの間で 意見の食い違いが有ると言われるが。)

89年の鈴鹿のシケインで、セナとプロストが 因縁の接触をした時、
私は ヘアピンで観戦していて、それを目撃することは事は無かったが、
当事者でない観衆は 本人同士の心の内などは 知る由もない。
[Prost explained 1989 Suzuka]   以来 私は それから10年以上、鈴鹿に通い詰めた。

あ~、頭がボーっとしてきた。 私の頭の中の走馬灯は、もうじき 火が消えようとしている。
とっくに 夜は明けてしまったが、もう眠ることにしよう。
それしかない ..... と想いつつ 浅い眠りを繰り返しながら、..... 午後3時を過ぎてしまった。
きょうはもう、仕事なんかどうでもいい。

では、また 今晩 .................. 。    [Tears in his eyes]

http://britishgreenyokohama.blogspot.jp/search/label/Eternal Senna


P.S.  ; セナは その後、94年に Williams F1に移籍、開幕3戦目の5月1日・San Marino GP
     (Imola)で、セーフティーカー後に再スタートしたセナは 首位を走行中、現地14時17分、
     300キロ超えで Tambrello コーナーに差しかかる直前、コントロールを失い、
     一瞬で220キロ位まで減速するも、ほぼ直進したまま コンクリートの壁に激突した。

     彼の乗る FW16 は大破し、意識不明のまま ヘリでボローニャの病院に搬送されたが、
     18:40Senna は 帰らぬ人となった。   [in memory of Senna]

2013年12月9日月曜日

"Sound of HONDA" and Dream

Original Telemetry Data produced by Ayrton Senna in 1989[Pic. the fumichronicles]

1989年の Suzuka、 Japanese GPの予選Q2 に於いて Ayrton Senna は、
当時の最速ラップタイム、分38秒041 を叩き出した。
HONDA は 86年から実戦に投入した Telemetry System で、その時のセナが走行中の
エンジンの回転数やアクセル開度、マシンのスピード等々を逐一 記録、解析している。
そこには 例の "セナ足" の動きまで、克明に記録されていた。

"ホンダのテレメトリー・システムは、走行中のクルマから採取する、今だと多分200を超える
データをクルマから無線で送信し、それをワークステーション上で分析する技術だ。

これにより ドライバーやエンジニア達は データを見てブレーンストーミングをし、
それを各々が共有して レース中 即時にデータを反映、そのレースで最速を期するために
対処できるものだ。 セナも ピットに戻ると すぐにコンピュータの画面を見て、
彼がラップ中に どの様な動きをしていたかを 自身で常にチェックしていたという。

これらの解析と努力により、当時の "McLaren-Honda" の栄光の足跡がもたらされた
と言っても過言ではないだろう。

テレメトリー・システムは 其の後 Moto GPでも 使用されており、必須アイテムとなる。
また、ホンダが開発したビジネス機 HondaJet のテスト・フライトにも、データを監視する遠隔測定システムとして機能している。

そして今年 ホンダと電通、及び Rhizomatiks は 当時のデータを元に、各々の部門の
コンビネーションで、"Sound of HONDA / Ayrton Senna 1989" を制作、
24年たった今、再現したデータから セナの最速ラップの足跡を、実際の鈴鹿サーキットの
コース上に スピーカーとLEDを配置し、光と音で 正確無比に表現した。


"Sound of HONDA / Ayrton Senna 1989"

これは 本年の 第17回文化庁メディア芸術祭でエンターテイメント部門の669応募作品の中
大賞を受賞し、この5日 発表された。
もともとは、ホンダ独自のインターナビ のプロモーションに供するため作られたコンテンツだが、
その手法が話題になっている。

さて その手法とは、完璧に整備された McLaren HONDA MP4/5 の実車に
バッテリー駆動の狭小レコーダをオンボードに設置、その最速ラップ1周分のエンジン音を
"採取"、更にコース上を走行する MP4/5 に 超指向性マイクを向けて録音、
これらの音源は MOTU Digital Performer でコントロールし、記録媒体に保存する。
また、テレメトリーで記録されたセナの走行データのチャートも、ホンダの元レースエンジニアが
が分析、スタッフによってデジタル化された。
セナの最速ラップが記録された このテレメトリーの紙片は、本田技術研究所の保管庫の奥で
眠っていたものが 今回 発見されたものだ。

これらのデータをもとに、89年当時のレース中に録音された音と比較・調整し、
全てがマッチングされ、最終的な走行音が合成されて 今回の画面上に挿入された。

また、LEDの光は セナのテレメトリー・データをもとにサーキットの図面と照合、
openFrameworks により LED ライトの必要な個数を割り出し、それをコントロールする為、
"Max MSP6" でシュミレータを作製、結果 LEDは 10メートルおきに設置することになる。
LED の制御は、LANケーブルを介して Art-Net Protocol により、その拡張は
"NV-600LM/RM " のモデムで行われた。 また全てのネットワークは 低コスト化して、
通常の電話ケーブルと CAT6 Lan Cableで接続している。

一方、LEDに合わせる為に コース上に無数に配置されたスピーカーだが、
その一個一個から放たれる音のパルスは 短く区切られたもので、その瞬発力に適した
"Funktion-One" のスピーカー、RES5 とRES4、F218、IB218モデルが選ばれ、
更にそれをサポートする為、"Meyer" の MSL-4 Line Array が使用される。
そして個々のスピーカー間の音の連続をロスなく 滑らかな音の流れになる様、
IRCAM (Institut de Recherche et CooordinationAcoustique / Musique)からの技術を
応用している。

最新の技術を駆使して完成した "Sound of HONDA / Ayrton Senna 1989 "。
大賞の受賞作品展は、他部門の受賞作品と共に来年2月5日~16日まで、
六本木の国立新美術館(the National Art Center, Tokyo) で開催される。 [Maps to NACT]

[Click this photos↓ ]
[Soichiro Honda with Senna]