2017年1月11日水曜日

One Afternoon

  Click to enlarge,  all Photos ↓

昨年に引き続き、再度訪問した御宅。 ロンドン郊外です。 今回は奥様は お留守でした。
でも家の中のあちこちに、彼女の描いた大作が。  なかなかの感覚を お持ちです。
ご亭主の趣味も それなりで、何気なく彼の趣味も滲み出ていますが、
決して 煌(きら)びやかでもなく、年相応の渋味も感じられるものでした。

実は 彼はクルマのお客様ではなく、どちらかというと仕事仲間ですが、
62エーカー(約7万6千坪。 計算違いか !? )の敷地の中に佇む自宅は、
私とは比べようもありません。

この仕事がきっかけで知り合ったもう一人の英国人で、似た様な規模の敷地(もっと広いかも)で、
こちらの奥方は馬の放牧を生業としていました。 でも今は夫婦でフランスだかスイスに移り住み、
多分 悠々自適です。

しかし どちらもの御仁も車趣味とそのビジネス感覚は、我々と大差 有りません。
いや、何かと大差は有るのですが、好きなクルマに対する考え方は一緒です。
だから今回も ビジネスとして訪問しています。

広大な庭では羊が草を食(は)み、
女房は絵をたしなんで ..... !
向こうの丘あたりまでが敷地らしい !!

さて、今回のお題は このクルマです。
約25年前に誕生した このクルマ "Rocket" は、間もなく その生産を終了しようとしている。
というよりも、順調に生産を続けていたのは恐らく最初の10年位で、その後は何度か拠点を変え、
細々と造り続けていた。 恐らく 総計でも 5~60台だろう。 あと1~2台でやめたいらしい。
一時期は、ヨーロッパでシリーズ戦を計画、その為にサーキット向けに 多少のモディファイを
施したクルマが用意された。 当時 2度目に "工房" を訪れた際に、そんな話を聞かされていた。


昨年、必要あって 新品のフレームを含めて、約一台分のパーツを、このクルマの生産を担当した
クリス・クラフトから供給してもらった。 今回は、最後に数点の小物パーツを揃える為に、
彼の自宅兼工房に寄せてもらったものだ。

彼自身も 62年以降、レースの世界に首を突っ込み、 Ford Anglia から始まって、Escort、
68年からは F3 にも進出し、Chevron や Porsche 908、McLaren M8C も経験し、
71年のF1 カナダGP(Mosport)では Brabham BT33 を駆るも、エンジン・トラブルで叶わなかった。
2度目の Watkins Glen では、レース中のサスペンションとタイア・トラブルで結果を出せなかった。

それでも レースの世界から足を洗うことはせずに、セダンのレースや様々なレースに参戦、
76年の Le Mans では3位入賞を果たしている。 80年代初頭には日本の童夢ともジョイントし、
F3、F5000 でも走った。 やがて キャリアを終えた彼は、レー ス経歴の中で培った中で、
F1 デザイナーの Gordon Murray と組んで Light Car Company を設立、この写真のクルマ、
"Rocket" の生産を開始した次第だ。

Chris は 多分、童夢との流れの中で Hayashi 320 F3 を設計した小野昌朗(現 東京R&D社長)
らと知り合い、81年に入交昭廣・三村健治・小野昌朗が童夢から独立して創った東京R&Dが、
カドウェルのロードバージョンとして考えた "VEMAC(ヴィーマック)" の製造販売を企画した際に、
Chris も参画して 98年に英国エセックス州の Chigwell に "Vemac Company" を合弁で設立した。
2000年から "Vemac RD180"(Honda 1800cc・縦置きミッドシップ)を、2004年には "RD200" に
発展している。
[ VEMAC ]

Vemac社の社長には Chris の息子 Luke Craft が就任、現地での製造販売を担当していた。
日本では、小野の下で 現場を担当した畑川修(R&D 現顧問)や R&D鈴鹿製作所の
芹沢氏が国内の販売を行い、私も鈴鹿や国内の発表展示会等で両氏に何度かお会いしている。

昨日 Chris宅を訪問した際にも Luke が顔を出してくれ、Chris と共に当時を振り返った。
恐らく "Vemac Company" の登記上の所在地は、昨年に続いて今回も訪問した Chris の敷地内、
もしくは Luke の自宅事務所かも知れない。

残念ながら Vemac の販売はままならず、数台を制作しただけで終わってしまう結果に。
販売上の一番の懸念は、やはり 販売のフィールドの違いだったと想う。
R&D はF3 のコンストラクター、特にチューブラー・フレームの製作に関しては抜群の技術を
持ってはいるが、従来の R&D の顧客・客層の流れの中で、英国のライトウェイト・スポーツの
感覚を持つ Vemac の販売には ムリがあったと想像する。

96年には Lotus Elise の生産が始まり、革新的なフレーム構造でロータスの大ヒット作となって
いた。 私も、ロンドンのロータス・デーラーにエリーゼが初めて到着した その一週間後には
一台を空輸し、そのクルマは国内一号車となって、当時京都のお客様に買っていただいたものだ。
だから 日本のエリーゼ一号車は、京都で走っていた。

そんな状況の中で、Vemac の販売は苦戦したに違いない。
こういうクルマに対する稚拙な文化しか無い日本で売るよりも、むしろ 英国やヨーロッパでの
販売を真剣に考えた方が良かったかも知れない。 でも こういうクルマを創るのも売るのも
大変難しい事ではあるのだ。

昨日も Chris と話していて、"オレも こういうライトウェイトを造りたいんだけど、" と言ったら、
人を諭(さと)す様な顔つきで、"やめておけ。 とんでもないカネがかかるし、そんな簡単な事じゃ
ないから ! " と言われてしまった。 さもありなん !

.......... ン、ここは 諦めるしかないか !?  でも やってみたい。 .......... 宝くじか !?

PS ;  上記 シルバー・グレーの Rocket は Luke のクルマだけど、手放すかも知れない。
  興味のある方は、メール下さい。  → britishgreenyokohama@gmail.com