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"49" が一堂に会する事は、通常は有り得ない光景だ。
毎年1月に Birmingham(バーミンガム)で開催される Racing Car Show。
今年のショーのトリ(主役)は Lotus 49 Formula 1 である。 www.autosportinternational.com/
今回、伝説となった Lotus 49 の歴史をたどるのは別の機会にする。
資料が膨大すぎるから、それを語り尽くすにはあまりにも大変だ。
バーミンガムの安宿でブログ・アップしている身にとっては、夜中に暖房が消されてしまう中での
過酷な作業となる。 よって ショーの会場で撮ってきた写真を中心に視ていただくことにする。
素人写真だから、その辺は 御容赦。
Lotus の創業者 (Anthony)Colin(Bruce)Chapman の長男である Clive Chapman が率いる
Classic Team Lotus が、ショーの会場に持ち込んだ7台の "49"。
本来だと9台が存在するハズだが、そのうち2台は損傷して7台が現存する。
ロータスと Cosworth は、フォードの協力を得て車体の設計に併せてエンジンを開発した。
そして 名器 Ford Cosworth DFV(V8) を搭載、デビュー戦の67年6月のオランダGPで
Jim Clark が優勝、この年は9戦の全てでポールポジションを獲得、クラークは このうち4戦で
優勝している。 10月のUS GP では Graham Hill が2位となり、Lotus は 1-2 フィニッシュする。
翌68年は開幕初戦の南アフリカでも 1-2、5月のモナコからは "49B" を投入して
信頼性の薄かった ZF のギアボックスを Hewland 5速に変更、ホィールベースも75mm 延長
された。 しかし この年の4月、Clark が 独Hockenheim で Lotus 48(F2)で立木に激突して
亡くなってしまう。 ロータスは3戦目のモナコから Jackie Oliver を Hill のチームメイトとし、
最終戦の Mexico GP では Hill が1位、Oliver が3位となっている。
Esso のスポンサードが無くなった為、68年のモナコから 車体は Gold Leaf カラーに改められ、
以後 F1のナショナルカラーは無くなっていく。 チーム名も "Gold Leaf Team Lotus" に変更
された。 更に この年の2戦目・スペインGPから、Rob Walker / Jack Durlacher Racing が
プライーべーターとして 49, と 49B を購入、ドライバーは Jo Siffert が乗り、この年のイギリスGPで
優勝した。 また、ロータスは イギリスGPから ハイマウント・リアウィングを アップライトに直接
取り付けて、ダウンフォースを じかにバネ下に作用させ、最終戦のメキシコからは ウィングを
可変方式にしてコーナリングや直線のスピードの安定性を得ている。
69年、第2戦のスペインGP では、ハイマウント・ウィングの支柱が折れて ロータスの2台が
クラッシュ、3戦目・モナコの予選以降、FIA は この種のウィングを禁止した。
ドライバーとしては Jochen Rindt を起用、彼は5回のポールポジションを得て、
この年の USグランプリでは優勝している。
70年、"49B" は マイナーチェンジとタイアをワイドトレッド化して "49C" となる。
Rindt は モナコで優勝、49 シリーズ最後の優勝を飾った。
尚、この年 Rindt は Hill の移籍に依り ロータスのトップドライバーとなり、5戦目から 新型の
"72" を得て4連勝を果している。
しかし 9戦目のモンツァで、予選走行中にガードレールに激突、28歳の若さで亡くなってしまう。
以上が Lotus 49 シリーズの概略である。
60年代後半、Lotus に輝かしい戦歴をもたらした "49" だが、67年のオランダの初戦から
68年の2戦目・スペインまで疾走したナショナルカラーのグリーンの "49" は、
ウィングを持たないボディーが、その美しく流麗な姿で Lotus F1 の一時代を築いた。
"49" シリーズの中でも、このグリーンのクルマは 特に我々の記憶に鮮明に焼き付いている。
この会場でも、私のカメラは British Green の "49" の姿に釘付けになった。
この日は どれだけの時間を このクルマの前で過ごしたことか !!
今回の訪英のハイライトである。 いい時間を過ごさせてもらった。
傍らでは Clive Chapman が目の前にいて、客の来訪に忙しく対応している。
しかし 目を離せば、今どきの "スマホ " をやったりして、何気に微笑ましい姿も垣間見る。
かって Hethel の彼の工房をたずねた時も、親切に対応してくれた記憶は 今でも鮮明に蘇る。
そういえばあの時 Clive から、中嶋の乗ったキャメル・カラーのF1 買わないか、と言われたが、
エンジン・レスだったし、自分の店の飾りにしては高すぎると思ったので買わなかった。
DFV も有ったけど、やはり飾りにしては高かった。
親子でツーショットは珍しい !?
Birmingham のショーでは、日本にいては絶対に視る事の出来ない "何か"が 常に存在している。
私自身の人生と 生きざまの中に、その記憶は 嫌でも強烈に叩き込まれてしまう。
一瞬、仕事で来ていることを忘れそうになるが、此処は一つ 今後の糧(かて)として味わう事に
しよう。 人生に無駄は何一つ無い !! そう想える一日であった。
素晴らしい ! ( ......... 自画自賛か !? )
この画角が一番美しい。 ↑
何故か四隅が切り欠いてあるが、多分 リベッターを抜くのが面倒だったのか。
そのあと、此処に張り付けたのだろう。
今 気が付いたのだけど、電話番号が "Wymondham 3411 になっている。
昔は Hethel でなくて、A11 を挟んだ反対側に工場が在ったのか !?
もしかしたら、Tom's GB が在った所か。(その後 Audi に売却された場所 ? )
それとも電話局のエリアは、Hethel と共通だったか !?
この目つき、君は未来のロータス・ドライバー。
何か ストーンズみたいだけど、時代が一緒か。
例の超精密モデル。 15万円位。
この人が居なかったら、私は 今の仕事をしていなかっただろう。 罪なヒト !!