autoguide.com/lotus-evora-400-looks-stunning-in-yellow.html
まるで 貴族の館(やかた)の主(あるじ)かの様な Evora 400。
やや異質にも見て取れるが、不思議と この様な現場に置いてみると その背景に溶け込んでいる。
イギリスならではの佇まいである。 この様な情景は、イギリスでは珍しくない。
時代を経たその重みの持つ包容力だろうか、年代を重ねた古い館のある佇まいのなかに
最新のデザインを組み合わせても、視る者には違和感なく馴染んでしまう。
但し、写真というビジュアルで視るのと 実際の現場で視るのとでは、事実上 大きな差異が出る。
それは写真には無い その場の臨場感、つまり 無意識にも感じる微細な音や臭い、
風や光の移り変わりが そうさせるのである。 だから、現場に勝るものはない。
一方 日本の街並みは、スクラップ & ビルドを繰り返して 街としての統一感を感じる事なく、
バラバラな景観の中で いまだ日々成長を続けている。
しかし、本物の持つ重みは いかんともしがたく、それに相反する日本の景観の中では、
そこに身を置くものに対して 十分な背景を提供し得るかどうかについては、甚だ心もとない。
日本の家屋やビルの様に、一見 石みたいな、煉瓦みたいな 最新の建材で覆われたその外壁は、
年数を追うごとに ただ薄汚れて朽ちていくだけで、建材メーカーは 汚れが付きにくいとか、
掃除がしやすいとは言うものの、何十年かすると また建て替えたくなる衝動に駆られるのだ。
それに比べて イギリスのストラクチャーは、石は石、煉瓦は煉瓦として本物を使っているから、
例え レンガの角やその表面が 欠けて無くなろうが 変色しようとも、古さゆえの いい風合いを
醸し出し、町や村の景観の中に溶け込んでいく。
使い込むほど、いい感じになっていくのだ。 それがヴィンテージと言われるものだろう。
アルミ・サッシでさえ殆んど見掛けることは無く、結果 英国全土にヴィンテージが散りばめられる
ことになる。 ロンドン市内だって、そんな景観はいたる所に存在する。
これは 建物に限らず家具等にも言えることで、100年や200年は当たり前のように使用する。
地方の小さな町を訪れると、400年も経つ家に 普通に住み続けるさまが 時たま見受けられるが、
ニトリの家具やタマホームが、果たして そんなことに耐えられるだろうか !?
IKEA でさえ、難しいだろう。
(IKEA の大型店はロンドンに3店舗。 市内の北側、North Circular Rd・A406 の外回り、
Wenbley 近くの Brent Park に一軒と、同じくA406 の内回り、A1055 のクロスする
Angel Road にも、そして もう一軒は、テムズ川の南、Croydon の A23 沿いにある。)
英国では そんな中から 最新の流行やファッションが生み出され、世界を席巻するロックや
ポップな音楽が登場する。 イギリスの織りなすカオスには、侮れないものがある。
クルマの世界でも、マクラーレンの如く、最新のテクノロジーに裏打ちされた高いレベルの
走りを実現させるかと思えば、モーガンの様に ヴィンテージ感を思いっきり前面に出すも、
何気にしっかりしたメカニカルな構造を備え、そのポリシーを貫いたクルマ造りで100年を迎える。
しかも、巷ではキットカーが闊歩している。
最新のマクラーレンのロードカーは、ボディーを取り去った、シャシーにエンジンと足廻りが
着いただけの状態で視る限り、その資質とセンスの良さは 他に類を見ない。
そこには端整な美しささえ感じてしまう。 60年代のフェラーリに見られるような "機械美" という
言葉を想い出す。 また、F1に於ける 各チームの前線基地は、そのほとんどが英国内に在り、
それを支える周囲の環境が最高峰のレースを支えている。
これ等は 少なくとも日本には絶対に無い状況だし、イギリスの有するプライオリティーの
最たるものと言ってよい。 英国文化、いや英国文明は いまだ世界に君臨し続けている。
日本には 最先端と言われるものが 幾つも有る様だが、文明としての最先端は 日本には無い。
唯一 たった2~300年の歴史しかない北米が、あれほどの威力を持った事には 羨ましくもある。
そんな中で 日本は、どこに本物の資質を見い出したらいいのか ?
生身の人間である我々は、本物が佇む環境の中で生き抜くのが 何よりも大切な事だと考える。
我が国は あと何百年かの(偶然を含めた)歴史を積み上げ、その中で常に研鑽を重ねて
そのセンスを磨いていかない限りは、イギリスに追いつくことはないだろう。
以上、古い佇まいの中に身を置く エヴォラの写真を視るにつけ、私なりの雑感である。
クルマは急には止まれないし、曲がらない。 その国の生活と文化も同様で、 急には変わらない。
まるで 貴族の館(やかた)の主(あるじ)かの様な Evora 400。
やや異質にも見て取れるが、不思議と この様な現場に置いてみると その背景に溶け込んでいる。
イギリスならではの佇まいである。 この様な情景は、イギリスでは珍しくない。
時代を経たその重みの持つ包容力だろうか、年代を重ねた古い館のある佇まいのなかに
最新のデザインを組み合わせても、視る者には違和感なく馴染んでしまう。
但し、写真というビジュアルで視るのと 実際の現場で視るのとでは、事実上 大きな差異が出る。
それは写真には無い その場の臨場感、つまり 無意識にも感じる微細な音や臭い、
風や光の移り変わりが そうさせるのである。 だから、現場に勝るものはない。
一方 日本の街並みは、スクラップ & ビルドを繰り返して 街としての統一感を感じる事なく、
バラバラな景観の中で いまだ日々成長を続けている。
しかし、本物の持つ重みは いかんともしがたく、それに相反する日本の景観の中では、
そこに身を置くものに対して 十分な背景を提供し得るかどうかについては、甚だ心もとない。
日本の家屋やビルの様に、一見 石みたいな、煉瓦みたいな 最新の建材で覆われたその外壁は、
年数を追うごとに ただ薄汚れて朽ちていくだけで、建材メーカーは 汚れが付きにくいとか、
掃除がしやすいとは言うものの、何十年かすると また建て替えたくなる衝動に駆られるのだ。
それに比べて イギリスのストラクチャーは、石は石、煉瓦は煉瓦として本物を使っているから、
例え レンガの角やその表面が 欠けて無くなろうが 変色しようとも、古さゆえの いい風合いを
醸し出し、町や村の景観の中に溶け込んでいく。
使い込むほど、いい感じになっていくのだ。 それがヴィンテージと言われるものだろう。
アルミ・サッシでさえ殆んど見掛けることは無く、結果 英国全土にヴィンテージが散りばめられる
ことになる。 ロンドン市内だって、そんな景観はいたる所に存在する。
これは 建物に限らず家具等にも言えることで、100年や200年は当たり前のように使用する。
地方の小さな町を訪れると、400年も経つ家に 普通に住み続けるさまが 時たま見受けられるが、
ニトリの家具やタマホームが、果たして そんなことに耐えられるだろうか !?
IKEA でさえ、難しいだろう。
(IKEA の大型店はロンドンに3店舗。 市内の北側、North Circular Rd・A406 の外回り、
Wenbley 近くの Brent Park に一軒と、同じくA406 の内回り、A1055 のクロスする
Angel Road にも、そして もう一軒は、テムズ川の南、Croydon の A23 沿いにある。)
英国では そんな中から 最新の流行やファッションが生み出され、世界を席巻するロックや
ポップな音楽が登場する。 イギリスの織りなすカオスには、侮れないものがある。
クルマの世界でも、マクラーレンの如く、最新のテクノロジーに裏打ちされた高いレベルの
走りを実現させるかと思えば、モーガンの様に ヴィンテージ感を思いっきり前面に出すも、
何気にしっかりしたメカニカルな構造を備え、そのポリシーを貫いたクルマ造りで100年を迎える。
しかも、巷ではキットカーが闊歩している。
最新のマクラーレンのロードカーは、ボディーを取り去った、シャシーにエンジンと足廻りが
着いただけの状態で視る限り、その資質とセンスの良さは 他に類を見ない。
そこには端整な美しささえ感じてしまう。 60年代のフェラーリに見られるような "機械美" という
言葉を想い出す。 また、F1に於ける 各チームの前線基地は、そのほとんどが英国内に在り、
それを支える周囲の環境が最高峰のレースを支えている。
これ等は 少なくとも日本には絶対に無い状況だし、イギリスの有するプライオリティーの
最たるものと言ってよい。 英国文化、いや英国文明は いまだ世界に君臨し続けている。
日本には 最先端と言われるものが 幾つも有る様だが、文明としての最先端は 日本には無い。
唯一 たった2~300年の歴史しかない北米が、あれほどの威力を持った事には 羨ましくもある。
そんな中で 日本は、どこに本物の資質を見い出したらいいのか ?
生身の人間である我々は、本物が佇む環境の中で生き抜くのが 何よりも大切な事だと考える。
我が国は あと何百年かの(偶然を含めた)歴史を積み上げ、その中で常に研鑽を重ねて
そのセンスを磨いていかない限りは、イギリスに追いつくことはないだろう。
以上、古い佇まいの中に身を置く エヴォラの写真を視るにつけ、私なりの雑感である。
クルマは急には止まれないし、曲がらない。 その国の生活と文化も同様で、 急には変わらない。