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Lotus は 時に先進的であった。 もちろん それは今でも引き継がれているものの、
今は亡き 創業者 Colin Chapman の創造的な発想は、当時としては群を抜いた存在だった。
彼は 本田宗一郎以上の、相当な頑固者だったらしい。
彼が来日した時に、私の知人が富士スピードウェイまで チャプマンをクルマに乗せていった際、
気難しくて話しづらい、扱いにくい男だったと述懐していた。
そんな男だから、Lotus の F1も 他に類を見ない技術と構造を備えていた。
この "Type 88" も、"Twin-Chassis" という ドライバーが座る本体モノコックと、
サイドポンツーンを含む外側のボディーの二重構造になっており、
いわばフローティングした様な状態で グランドエフェクトとダウンフォースに対応している。
しかし この構造が物議をかもし出し、オーガナイザーや他のチームから総スカンをくらってしまう。
Chapman は 81年の初戦から "88" を投入したものの、
空力に関連するボディーワークは固定されたものでなければならないという旨のレギュレーションに
違反する という理由で、プラクティスは走ったが 決勝戦での出走を禁止されてしまった。
ロータスはその年の第3戦まで、"88" をサーキットの現場に持ち込んだが、
結局本戦は出走出来ずじまいだった。
その後ロータスは 抗議の意思表示として、第4戦のサンマリノGP を欠場している。
ほぼ同時期に登場した McLaren MP4-1 では、アルミ・ハニカムを CFRP で挟んだものだったが、
Lotus は アラミド繊維のハニカムコアをカーボンプレートでサンドイッチしたパネルを用いて、
それを リベットと接着剤で組み上げた構造になっていた。
(CFRP = Carbon Fiber Reinforced Plastic)
構成するパネルが幾つもに分割されていた為に、一体成型したマクラーレンのモノコックに比べ、
クラッシュした際に せん断荷重でバラバラにならずに、
部分的な破損だけで、荷重を最小限に食い止めることが出来るものだった。
レーシングカーとしては、ある種 マクラーレンより先進的な手法であった。
"88" は、当時2台が製造され、"#11" は現在 日本に留まる。
今回、Colin の息子で Classic Team Lotus を主宰する Clive Chapman が、
当時の経緯を説明している。 www.youtube.com/watch?v=DMtkRcqvGaU [Video]
残念ながら今季からは、 F1のレースシーンで "Lotus" の名は消えてしまった。
しかし その歴史とレジェンドは、永遠に語り継がれるに違いない。
いい時代だった !!
Chapman is watching his ....... !