2019年1月12日土曜日

Today's Goods Ⅲ



ショーの会場で 本日の収獲品。  ポートレートはそのまま額装できる様に、白枠が着いている。 £9.99 for each。
後ろの LP レコード2枚は 初めて出会ったもので、なかなか珍しい。
本当はシリーズで あと5~6枚在ったが、表装の絵の気に入ったものを2枚選んだ。
50年前の物にしては、格安。 各£30.0。 クリーニングされてあったが、聴いてみないと判らない。

下記 B.R.M の小冊子は、70年前のプロトタイプの様子も。
 60年代に Graham Hill が乗ったモデルや、水平対向 16気筒の H16 Engine やチームの解説、
当時のテスト・ベンチなどが解説されている。
また 頁の合間には SHELL や DUNLOP、FERODO、GIRLING 等の広告も見られる。

"Lotus History" は、当時は North London・Cheshunt の Delamare Road に在った工場を空撮した
写真も載っていて、150坪ほどの倉庫型の工場が 2棟と200坪程度が1棟在り、
大きい方の棟には L字型のスロープが着いていて、2階部分につながっているのが視える。
また 倉庫幅と同等な2階建ての社屋も見え、当時の様子が覗われる。

表紙の如く 頁の殆んどは Lotus 23 の解説に終止し、これによると 1962~66年の5年間に 131台が
生産された事が判る。 頁の最後には シャシー番号順に 最初の購入者のリストが有り、
41台目には Dan Gurney の名前もあって、62年の11月末に購入している。
Jim Russell Racing School は2台を買った。

Lotus 23 は かなりの数がアメリカに渡り、Dallas/Texas の Lotus SouthWest は8台を買っている。
恐らくここから個人オーナーの手に渡ったのだろう。 尚 当時、日本人の購入者は無い。

かって 筆者は Laguna Seca / California のレースを観に行った際、
4台の Lotus 23 が走っていたのを記憶する。
なかには 親子で ロータスを駆ってレースをし、オヤジが Lotus 23B に乗り、
息子は水色の Elan で優勝した。 羨ましいが微笑ましくもある。

Laguna Seca は 2001年から昨年3月まで、"Mazda Raceway Luguna Seca" として Mazda が
命名権を保有していたが、4月以降は自動車用品会社のウェザーテックが命名権を取得、
現在は "WeatherTech Raceway Laguna Seca" となっている。

ちなみに私は この ラグナセカと ソノマ・サーキット(当時は Sears Point と呼ばれた) のイベントを
ロータスのシングル・シーター(できれば Lotus 41) で走るのが夢である。
ソノマはカリフォルニア・ワインの産地だ。 ワインを飲みながら 走る、....... いいネ~ !!
[Maps to Sonoma Race Way]  [Way to Laguna Seca]

日本では 1963年に鈴鹿で第1回日本グランプリが開催された際、3台の Lotus 23 が出場して
ロータス社のセールスマネージャー兼レースドライバーだった Peter Warr が優勝した。
2位と3位にも Lotus 23 が入賞して 1-2-3 を飾っている。
それ以来、23 は日本でも有名になって 多くのファンを獲得している。
筆者自身も 20年ほど前に 23B を所有し、クルマは カーグラフィック誌に記事として掲載されている。
私にとっては 因縁のクルマでもあった。