Ginetta は、レースの血筋を順当に引き継いでいる。
http://jalopnik.com/ginetta-is-the-most-amazing-car-company-racing-at-le-ma-1699930852#kxsegs=o7mp4e3md,o9i68fk9g,pexi6me2k
http://www.dailysportscar.com/2014/12/12/sir-chris-hoy-charlie-robertson-ginetta-nissan
現 Ginetta Cars のオーナー・Lawrence Tomlinson 率いる Team LNT の Ginetta-Nissan LMP3 は、1週間前の4月末、Silverstone で行われた Britcar 24 Hours で、待望の表彰台に昇った。
終盤で 思いもよらぬトラブルで長いピットワークを余儀なくされたにも拘わらず、
最終的にクラス3位の見事な結果を得ている。
https://www.youtube.com/watch?v=OenDU8MoeJo
4月初めの British GT でも2位になってる。
https://twitter.com/ginettacars/status/585109752906153984
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Ginetta-Nissan LMP3 は、Tomlinson 自身と、ワークス・ドライバーの Mike Simpson をはじめ
Sir Chris Hoy、Charlie Robertson、Gaeten Paletou らのドライブにより、トラブルでの周回数の
減少にも拘わらず 2424Km を走破した。
しかも、当初は Simpson のドライブで 2:03.916 の予選タイムで、ライバルを3秒064 上回って
ポール・ポジションを得ていたのだった。
レース開始の最初のドライバー・Robertson は、3ラップ後には 2番手に 26秒ものアドバンテーを
作って 2時間後に チームの Paletou にハンドルを引き渡した。
Paletou は次の Simpson に #12 V8 Nissan を引き継いでから、Simpson の3時間に及ぶドライブ
の後は、後続に対して なんと 4ラップのアドバンテージを得ていた。
実は Simpson とは、この1月に Birmingham のレーシングカー・ショーのジネッタ・ブースで
出会っており、後日 彼がジネッタ・カーズの工場を案内してくれる約束を得ていた。
数日後に訪れた際には、ファクトリーの中を1時間近くに及んで 彼の説明を受けながら
つぶさに見学することが出来た。
www.endurance-info.com
Mike Simpson / right
in Birmingham
さて、レースは6時間を経過して 強い雨が降り注ぐ。 しかし Robertson の2回目のドライブでは、
雨の中の厳しいコンディションで、徐々にペースを落とし始める。
そして、かなりのトラブルに見舞われた。
やがて 45分に及ぶピットワークの後、メカニック達の懸命な努力で クルマは蘇り、
チーム・オーナーの トムリンソンも力強い走行で リカバー、 Lap392 では Robertson が
2:02.922 の fastest lap を叩き出している。
レース終了後 Simpson は、"2500km に及ぶ素晴らしいイベントでした。 幾多の困難にも拘わらず、
チームLNTとメカニック達の全員が 今日の勝者です。 ポールポジションでのスタートと、
クラス表彰台は本当に素晴らしい ! チーム全員が一丸となって臨んだ LMPプロジェクトの結果
です。" と。
さかのぼる事 1958年、Walklett 兄弟(Bob、Ivor、Trever and Douglas)によって Sufforlk州・Woodbridge で創業した Ginetta。
チャプマンのロータス同様、ほぼ同時期に草レース用のキットカー・メーカーとしてスタートした。 彼らは、Wolseley Hornet ベースの Ginetta G1 を最初に完成させる。
その後の活躍は衆知の通りで、G4 と G12 がアイコニックなレースの戦歴を記録している。
その後 彼らは、日本からの我々の要望に応えて G4 と G12 の再生産を決意、
Sheffield から1時間弱のScunthorpe で G4 とG12 の生産を再開している。
20年近くのギャップを経て日本からのオーダーで 再生産が始まった件はBBC でも話題になり、
その頃の日本経済新聞でも取り上げている。
1989年、当時マネージング・ディレクターだった Martin Phaff に譲り渡し、Walklett は引退した。
(Trever と Ivor は、その後 Dare社(Design and Research Engineering) を起こしている。
今は亡くなった Trever だが、彼の息子の Mark と Ivor が共に同社を引き継ぎ、
Dare G4 とG12 を存続させている。) 彼らは皆、穏やかで 笑顔を絶やさないジェントルマンだ。
2005年、Phaff は会社を LNT Group の Lawrence Tomlinson に売却し、自身は引退する。
昨年のバーミンガムの会場で、久々に彼と会うことが出来た。
Tomlinson は、レーシングドライバー、実業家として活躍してる人で、自身も いまだレースに
参戦する闊達な人物である。 2007年には、Leeds 郊外の Garforth 駅から10分程の工業団地に会社を移転した。 ここが 今回 私が訪れた 現在のジネッタ社である。
Tomlinson は、ウォークレットの創業50周年を期して、Ginetta G50 の生産を開始、
その後の G55 は トラック用として数々の戦歴を残している。
ロード用としては G40R(Road)を生産している。
https://www.youtube.com/watch?v=RHFa2DgnNu0
しかし 、Tomlinson は 自社のレセプションには G4、G12を展示しているものの、
旧ジネッタには関与せず、パーツのサプライも行っていないのが基本的なスタンスである。
Martin Phaff も同様だ。 よって 日本に輸入された G4 と G12 のパーツ・サプライについては、
私共に相談されたし。 Ivor や Mark とは20年近くの親交が有り、自宅にも何度か伺っている。
但し Tomlinson のレースへの入れ込みは半端でなく、いずれ ル・マンでのポディウムも目指して
いるに違いない。 彼自身は かなり広範囲に渡り レース界の付き合いも広く、Panoz や
それに関連する Fabio 等にも関わり、同社を買収して 当初 Ginetta F400 としてラインアップし、
その後 少しの改良を施した G60 を販売してみたが、現在は 同車から手を引いている。
2階のレースカーのメンテ・コーナーの片隅には オレンジ色の Panoz を見かけた。
現ジネッタは、ロードカーの G40R の製造・販売をしているものの、
本気で取り組んでいるのは、レーシング・ビジネスである。
これは 多分、Tomlinson が LNT Group として住宅関連等の異業種を順調をこなしている
と思われ、この余裕が Ginetta を併せ持つ きっかけとなっているのだろう。
これらは この1月に同社を訪問した際に、案内してくれた Simpson 氏も話していたことで、
レーシングカーの販売と それに伴うメンテナンス、レースで破損したクルマの修復は、
結構なビジネスで、会社の収入源の多くを占めるものだと語っていた。
G55 in Factory
Simpson 自身も、ブランズハッチのレース中に 前を走る車から脱落したドアが直撃し、
ルーフとフロントグラスが破損する事故に逢っている。
https://www.youtube.com/watch?v=fRgFUOFOyRE
レースでは、マシンのトラブルと損傷は避けがたいものだろう。
それらのメンテと補修は、会社にとっても いいビジネスとなり得るものである。
Tomlinson は それらを目論んで、自社のレース参戦で 会社のイニシアチブを高揚し、
G40 や G50、G55 によるレース・シリーズを展開して、Ginetta Junior Championship 等を主宰し、
スカラシップを設けて若手ドライバーの育成をサポートしている。
https://www.youtube.com/watch?v=JJHhEvjWE2k&index=1&list=PLrDb0w-ITVXmV_ZZhyXHqfIWoSYRL_MHE
https://www.youtube.com/watch?v=LkpSoNyqd1s
https://www.youtube.com/watch?list=PL869E19B6E13776B9&v=hqVKO9RWWTI
やはり ジネッタの血は途切れることは無い。
英国のレース界を支えているのは 大手のワークス活動に留まらず、ジネッタのような中堅どころ
の興盛なくして語ることは出来ない。
今 日本で Ginetta に乗るという事は、この様な後ろ楯があっての事なのだ。
我々も これにあやかり、自身の人生の糧にするのがよかろう。
https://www.youtube.com/watch?v=vLECyyhWNhg