2012年1月30日月曜日

Shelby 2000GT


First Production Toyota 2000GT

"Toyota 2000GT"  は 1967年から70年にかけて、プロト・タイプや輸出用を
含めて337台が生産された。

トヨタは 当時 アメリカでのレースを目論み、3台の2000GT
Sheiby American に送り、レースのマネージメントと出走を委託する。
シェルビーは、6気筒2000cc / 150馬力をチューンして 230馬力とし、
68年のSCCA Cクラスで全戦に参戦し、それなりの好結果を残している。
しかし、エンジンのポテンシャル不足等を理由に その後 長続きはしなかった。
のちに #10001 は、Goodwood にも登場している。

シェルビーが手掛けた3台の2000GTのうち、上記写真の カー・ナンバー23、
シャシーNo. / MF10-10001 は、米メイン州の Maine Line Exotics が所蔵し、
希望があれば 170万ドルで手放してくれるらしい。
日本車としては、これまでの最高価格か。

2000GT のエンジンは クラウン用の2リッター・6気筒105馬力のM型ブロック
を用いて、ヤマハが開発したDOHCヘッドと3連の三国ソレックスを架装し、
M型と呼ばれた。

64年秋頃から開発が始まり、同年末までには 基本的な線図が出来あがった。
当時 トヨタ本社は この開発には直接タッチしない方針で話が進み、
65年初頭から4名の技術員をヤマハに出向させている。

2000GT の生産は ヤマハ発動機の磐田工場で行われ、内装パネルや
ウッド・ステアリングは日本楽器製造、 ボディーは ヤマハ車体工業や
一部を トヨタ側のプレス・メーカーが担当し、細かい修正を手作業で行った後に
最終仕上げをして、238万円で販売を開始した。

生産の後期型では、ダッシュ・パネルを ウォールナットからローズウッドに
変更したり、また主にアメリカ向けに ATを追加している。
4輪ディスクブレーキを国内で初めて採用し、性能面では 最高速220Km/h、
0-400m は16.9秒で、世界でもトップクラスを保った。
尚、オリジナルのマグネシューム・ホィールは、コンディションの維持が困難
な為、同じデザインのアルミ・ホィールが 社外で限定生産された。

70年か71年頃、何故か 神田のレンタカー屋に2000GT があって、
当時 学生だった私は バイト代を奮発し、デートの為に一日だけ借りて、
中央道から河口湖と山中湖へと突っ走った覚えがある。
デートの結果は、 ...... 内緒だ !!

Shelby/2000GT

Video 2000GT-1