2014年10月18日土曜日

Back to the Grass Roots


私は Mini のエキスパートではないので、あまり多くは語れない。
しかし、Mini Cooper くらいは知っている。
いや、私じゃなくても 日本人のかなりの人々の間に、その名は知られている。
まるで 英車に興味のない人からも、その名を引き出すことが出来る。

多分、一度でも見かけたことのある人なら、その小さくて変なクルマは、
違和感が無いにせよ、むしろある種のカワイらしさを醸(かも)し出している為に、
街ゆく女性までもが 無意識にも 頭の中にインプットしてしまうのだ。
さらに 不思議なことに、その記憶から語られる言葉は、ミニじゃなくて
ミニ・クーパーなのである。 今年 他界した私の母も、ミニが大好きだった。

恐らく、64年から67年にかけて 例の Monte Carlo Rally での大活躍が、
日本でも語り草になって、まずは クルマ好きの男性に浸透し、
やがて 日本の路上で ミニを見かけた女性たちにも認識されるようになった。
しかも、男たちからは ミニ・クーパーとして聞かされていたものだから、
自然と ミニ・クーパーになってしまったのだろう。
だから 実はミニ・クーパーのクーパー が何のことかは 失礼ながら ご存知ない。
でも懸命な読者諸氏は、そのクーパーが John Cooper に由来するのは承知だ。

50年代後半の英国は、56年のスエズ動乱に端を発した深刻な石油危機から、
軽くて低燃費なコンパクト・カーの必要性に迫られ、当時の BMC の会長である
Leonard Lord は、社内の Alec Issigonis の設計チームに命じ、
コードネーム XC/9003 のクルマを最優先に開発することを指示、
57年にプロトタイプが完成する。
http://www.aronline.co.uk/blogs/cars/mini-classic/the-cars-mini-cooper/

BMC の既存のエンジンの中から、Aシリーズ / 948cc が選ばれたが、
もともと Austin A35 に使用されている状態では 90マイルの最高速であったが、
ミニのサイズでは過大だという Lord の判断から、848cc にスケール・ダウンされ、
最高速も 72マイルの車として完成されたものだ。

横置き前輪駆動、エンジン下部にオイルパンを配置し、
しかも エンジン・ミッション共に同じオイルで潤滑する手法がとられた。
結果 非常にコンパクトながら、とても経済的で必要十分な車室を確保した
4人乗りの小型車が出来上がった。

エントリー・モデルは、僅か1360ポンド、620Kg の軽さに仕上がっている。
しかし イシゴニス的には、マイナーと比較すると、ミニは全てをカットした
スパルタンなクルマだという認識を持っていたフシもある。
この手法は 日本でも、67年3月に発売された軽自動車の Honda N360 にも
影響を与えているものと想われる。
本田宗一郎 は 英国車が好きで、MGLotus Elite を乗り回していた。

しかもミニは このサイズで、独特なレイアウトと特異なロールセンターを持った
足廻り、クイックなステアリングのギア比、10インチのタイア等からもたらされた
俊敏なハンドリングが 素晴らしい回頭性を生み出している。
私自身も 何度も経験しているが、雪道での走破においては、
その軽さとスクエア感からか、抜群の走りを見せ、少しぐらいの積雪では
チェーンなど必要なく、現代の四駆と比べても遜色ない走りを確保している。
いや、それ以上だ !!

だから、雪の日の通勤は、今でも クラッシック・ミニがいい。
ついでに やや重いハンドルは、当時の 細い大経のハンドルに交換すると、
まるで パワステのような軽さに変身するから オススメである。
(余談だが、初代 Honda CR-X も同様で、鼻先が四角いものだから、
 私は面白がって 雪の日に駐車場で、その鼻先を利用して"雪かき" をしていた。)

社内では ADO15(Austin Drawing Office 15)の名で呼ばれていたクルマは、
Austin Seven、Morris Mini Minor として 1959年から その販売が開始される。

さて、ここまでは普通の話だが、その後 Mini は、Cooper の名を冠したモデルが
登場するようになる。

既に 当時の F1で活躍していた イシゴニスの知己、友人だった John Cooper は、
その卓越したハンドリングに驚き、イシゴニスに話を持ちかけ、
廉価なスポーツ・モデル ? としてのミニの開発を始める。
そして62年、ADO50 として Austin Mini CooperMorris Mini Cooper
誕生となった。 エンジンは 997cc までボア・アップされ、SU ツインで55bhp の
Cooper は、ディスク・ブレーキも装備し、67年まで生産が続く。
(後に 998cc に僅かな変更を試み、トルク感のあるエンジンにしている。)


並行して63年には、より大型のディスクブレーキを装備、1071cc の "Cooper S "
を発売。 さらに、チューニング屋・Downton Daniel Richmond が、
1275cc までボア・アップする手立てを考案、イシゴニスと ジョン・クーパーは
これに合意、アップ・グレードしたクーパーS をリリースし、71年までに40000台を
越す Cooper S が生産された。


64年の Monte Carlo RallyMini Cooper が、65年と67年には Cooper S
総合優勝してしまった。
しかも 並みいる強豪のポルシェやランチアを押しのけての優勝だから、
当時 大変な話題となり、その名声を不動のものとしたのである。


以上が 当時の大まかな クラッシック・ミニの流れである。

いまや 本家英国を凌ぐ勢いの 日本のミニ・ブーム。
ロンドン市内を走っていても、ミニを見かける頻度は 日本の方が多いくらいだ。

94年、BMW が Rover を買収、その直後から まず ローバーの主導で
New Mini の開発を開始、97年のジュネーブで 初めてその姿を現した。
その後 BMW はローバーを売却し、ミニ・ブランドだけを残して ドイツ国内で開発
を続行、2001年には New Mini の販売を開始している。

そして、ほぼ並行して 最上級モデルの "John Cooper Works " もリリース、
筆者は当時のジョンクーパー・ガレージから "JCW " を直接に購入、
New Mini の国内販売が開始される以前から、JCW Mini を日本の路上で
乗っていました。  いや~、よかったヨ。 中央道で GTR をぶっちぎってました。

ちなみに日本では 2002年3月2日、New Mini の販売が開始されています。
ここ2~3年は 国内デーラーの数も急増し、ミニは増殖の一途をたどっている。

そして Classic MiniBMW Mini 、できれば一台づつをあなたのガレージに
住まわせることをオススメしたい。  いい日常を過ごすことが出来るだろう。
そして 若者にも是非 乗ってもらいたい。  いい人生経験となるから !
 [Video]

 Pic, British Green Yokohama / at Alex Moulton Atelier     Click to Enlarge ↓