2014年1月18日土曜日

John Surtees Memorial & Henry Surtees Foundation / Birmingham

  [Pic. British Green Yokohama] 写真はclick して拡大。

英国で スターリング・モスと共に レース界のレジェンドとして君臨する Big John こと
John Surtees

その栄光と同居する彼の穏やかな物腰は、モータースポーツを愛する人々の心に強く焼き付く。
近年は ほぼ毎回、このオートスポーツ・インターナショナルに登場している。
今年も その元気な姿に接することができた。

サーティースは 10代のころから 二輪で、VincentNorton に乗って活躍し、
その後 Agusta に移籍してチャンピオンとなる。
60年には短期間だが Lotus でも F1に参戦。
64年から Ferrari に移籍、チャンピオンを獲得。
66年には Can-Am にも挑戦し、ここでもチャンピオンとなっている。

67年からは HONDA F1をドライブ。
サーティースは Lola に掛け合い、ローラ・シャシーの HONDA RA300 の完成に寄与、
そのクルマに乗って モンツァで優勝する。
バーミンガムの会場で配布されていた Racecar Engineering 誌のダイジェスト版の中で、
"Hondola " と称して その経緯が記事として紹介されていた。

サーティースは70年~78年に 自身のTeam Surtees を運営、その後は 一時期、
ホンダの販売店を経営するなどをした後、今もなお モータースポーツ界の発展に貢献する。


さて、今回 最も感銘を受けたのは、自身のレジェンド・コーナーの向かい側のブースに
出展していた "Henry Surtees Foundation "。
Brands HatchF2をドライブ中、もらい事故で 若くして命を落とした彼の息子、
Henry Surtees 2009年、わずか18歳の時の事であった。
父 サーティースは その際 ヘンリーの臓器移植を提言し、難病にあえぐ5人の病人の命を
救っている。 ヘンリーは サーティースが57歳の時に誕生した子であった。
目に入れても痛くなかったに違いない。 なんという 慈愛だろう。

今、ヘンリーとジョンの意思を引き継ぐ財団は、レース入門ともいえるカート・レースを中心に
将来を目指す若きドライバーの育成を後押ししている。

実は今回 偶然にも、かってから親交のあった 元Ginetta Cars の社長・Martin Phaff
財団のブースで遭遇、彼もこのイベントに協賛し 当日はドネーションを手伝っていた。
Mr. Phaff の紹介で 短時間だが サーティースとも歓談し、嬉しいひと時を過ごすことが出来た。

Martin Phaff (One Time CEO of Ginetta Cars) & John /   筆者撮影

そして、改めて 英国のモータースポーツと、それを支えている人々に敬意を表したい。
"Great Britain " はやはり 偉大だった。
例え わずかでも 私自身がそれに関わり、その時間を共有できることは 素晴らしく幸せな事だ。
いい人生だと 想っている !!