[Pic. British Green Yokohama] 写真はclick して拡大。 ↓
英国で スターリング・モスと共に レース界のレジェンドとして君臨する Big John こと
John Surtees。
その栄光と同居する彼の穏やかな物腰は、モータースポーツを愛する人々の心に強く焼き付く。
近年は ほぼ毎回、このオートスポーツ・インターナショナルに登場している。
今年も その元気な姿に接することができた。
サーティースは 10代のころから 二輪で、Vincent、Norton に乗って活躍し、
その後 Agusta に移籍してチャンピオンとなる。
60年には短期間だが Lotus でも F1に参戦。
64年から Ferrari に移籍、チャンピオンを獲得。
66年には Can-Am にも挑戦し、ここでもチャンピオンとなっている。
67年からは HONDA F1をドライブ。
サーティースは Lola に掛け合い、ローラ・シャシーの HONDA RA300 の完成に寄与、
そのクルマに乗って モンツァで優勝する。
バーミンガムの会場で配布されていた Racecar Engineering 誌のダイジェスト版の中で、
"Hondola " と称して その経緯が記事として紹介されていた。
サーティースは70年~78年に 自身のTeam Surtees を運営、その後は 一時期、
ホンダの販売店を経営するなどをした後、今もなお モータースポーツ界の発展に貢献する。
さて、今回 最も感銘を受けたのは、自身のレジェンド・コーナーの向かい側のブースに
出展していた "Henry Surtees Foundation "。
Brands Hatch で F2をドライブ中、もらい事故で 若くして命を落とした彼の息子、
Henry Surtees。 2009年、わずか18歳の時の事であった。
父 サーティースは その際 ヘンリーの臓器移植を提言し、難病にあえぐ5人の病人の命を
救っている。 ヘンリーは サーティースが57歳の時に誕生した子であった。
目に入れても痛くなかったに違いない。 なんという 慈愛だろう。
今、ヘンリーとジョンの意思を引き継ぐ財団は、レース入門ともいえるカート・レースを中心に
将来を目指す若きドライバーの育成を後押ししている。
実は今回 偶然にも、かってから親交のあった 元Ginetta Cars の社長・Martin Phaff と
財団のブースで遭遇、彼もこのイベントに協賛し 当日はドネーションを手伝っていた。
Mr. Phaff の紹介で 短時間だが サーティースとも歓談し、嬉しいひと時を過ごすことが出来た。
そして、改めて 英国のモータースポーツと、それを支えている人々に敬意を表したい。
"Great Britain " はやはり 偉大だった。
例え わずかでも 私自身がそれに関わり、その時間を共有できることは 素晴らしく幸せな事だ。
いい人生だと 想っている !!